下町の焼肉王お~くんのじっくり部屋

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NTT-ME SCR3310-NTTCom  確定申告をe−Taxで行なう際に、公的個人認証サービスのICカードリーダライタが必要な為、本製品を購入しました。比較的安価で問題無く使用出来ました。

ICカードリーダライタを選ぶ際の注意
 住民基本台帳カードを作成した際に、当該市町村の住基カードに適合するICカードリーダライタの、機種を記載した資料が配布されると思うので、そちらに従って下さい。ICカードの金属端子の有無で適合するICカードリーダライタの機種が異なります。

ICカードリーダライタの種類
 ICカードリーダライタには接触型と非接触型との2種類があります。
・金属端子が有る住基カード→接触型と非接触型とのどちらでも使えます。
・金属端子が無い住基カード→非接触型のみ使えます。

今回の選択候補
 私の居住地の住基カードは金属端子が有るタイプでした。適合するICカードリーダライタの機種は以下の4種類でした。
<接触型>
・NTTコミュニケーションズ SCR3310-NTTCom 2千円強
・シャープ RW-4040 3千円弱

<非接触型>
・NTTコミュニケーションズ SCR331DI-NTTCom 6千円弱
・シャープ RW-4010 価格不明

 接触型と非接触型とでは、接触型の方が安いようです。接触型においてNTT製とシャープ製とを比較したところ、NTT製の方が安かったので、本製品を購入しました。問題無くe−Taxで確定申告が出来ました。

PANTA & HAL BOX  このBOXは、要するに6月23日に再発されるPANTA & HALの三枚のCD「マラッカ」 (紙ジャケット仕様)、「1980X」 (紙ジャケット仕様)、「TKO NIGHT LIGHT」(紙ジャケット仕様)と、新たに発売されるDVD「Fighting 80」(紙ジャケット仕様)を、一つのボックスにまとめたものである。ばらばらに買っても合計金額は同じである。

 3枚のCDは、デジタルリマスタリングされている。またDVDは収録時間が短いのが残念であるが、画質も音質も満足できる。(この辺りそれぞれの作品に関する詳しいことは、個別にレビューを書く予定である)
 それではこのボックスを買う意義であるが、88ページ豪華ブックレットが付いてくる。PANTA & HALの歴史が40ページ以上にわたって詳細に描かれ、PANTAのインタビュー、そしてPANTA & HALの活動記録が詳細に記されている。読み応えがありファンにとっては満足できるものだと言えよう。
 付け加えておくと、ある買い方をすると(これは自分で調べてもらいたい。ヒントは「フライングパブリッシャーズ」)更に特典がつく。
『PANTA&HAL BOX 特典 20ページブックレット』
PANTA直筆サイン入り
内容
・高沢正樹 インタビュー (PANTA&HALファンクラブ会報「PHACS」に掲載)
・異色対談 パンタを橋本治が直撃(「平凡パンチ」に掲載)
・PANTA&HAL レコーディング・リポート(ロック専門誌「ロックステディ」に掲載)

長年のファンとしては、PANTAのサインを手にした感慨は実に深かった。


構造と力―記号論を超えて 83年生まれの僕は、浅田彰の手による「構造と力」の同級生にあたる。
だから、もちろんリアルタイムで読んではいないし、その前後の批評空間の空気も直裁には知らない。
そんな僕が本書について一席ぶつのもおこがましいわけなのだが、あえて簡潔な印象だけ述べさせてもらうなら、本書は、現代、2000年代の今にこそ読まれるべき本ではないだろうか、というものになる。

―そもそも、83年当時、果たして社会は本当に大きな物語を喪失していたと言えるか。
少なくとも、僕の印象は「否」だ。
折しもバブル前夜の日本で、僕は幼少期より「受験神話」を叩き込まれ、資本主義の幻想をうんざりするほど刷り込まれて育った。
もちろん、これは単に私的な印象論ではなく、当時の社会が、あるいは学校が、そういうムードに酩酊していたことは、誰しもが否定しえまいだろうと思う。
リオタール的な意味における「物語」と言うのであれば、確かに凋落の傾向にあったと思うが、それを補う形で経済というドラッグが、幻想が、広く普及していた、それが僕の80年代に対する時代認識だ。

―そのさなかに「構造と力」が出版され、思想書としては異例の売上げ冊数を誇ったわけだが、資本主義の幻影に陶酔していた当時の日本人がそれを真にクリティックに受け止めたかどうか、甚だ疑問である。
いや、事実としてスキゾフレニーやディファレンシエート、リゾームといった概念群は、「楽して金稼いで消費社会を踊りきろう」程度の意味に解釈され、好景気に浮かれ、刹那的な生を送る自己を正当化するためのエクスキューズとして機能していたのではなかったか。
しばしば「浅田彰は知をファッション化した」なんて批判を耳朶にするが、実際は「時代が構造と力をファッション化した」のであって、そこは取り違えることはできない。
浅田彰は一度も「読まれる」ことなく「消費され」てしまった、それが実状ではなかっただろうか。

―さて、僕が「構造と力」を初めて読んだのは2006年のことだったが、それはヴィヴィッドに僕の心を捕らえた。
バブルが破裂し、経済が失速した後に思春期をむかえ、キレる14歳世代に属し、社会が「閉塞」や「鬱屈」といった言葉で形容される時代の中で、物語も幻想もない砂漠を彷徨い倦ねていた僕には、「構造と力」が提示するリゾームのビジョンは、現代をサバイバルするための ―このとりとめのない実存の苦悩から脱するための、優しく反復される無目的な日常を脱却するための― 唯一の「隘路」のように思えた。
むろん、手放しで全てを肯定できるわけじゃない。
分裂的な生には課題も多く、その論理にも欠陥があろう。
だが、経済的困窮をワーキングプアやらなんだと馬鹿の一つ覚えで騒ぎ立て誤摩化すよりも、あるいは似非物語の復権を謳いネオ右翼的隷属状態に陥るよりも、遥かに健康的でアクチュアルな思想であることは確かだ。


―たとえば現在、「社会にコミットしない若者達」が問題視されているが、いたずらにコミットメントさえすればいいというものでもないことは自明だろう。
先述のワーキングプア、ネオ右翼などは偏向したコミットメントの典型例である。
一方、コミットを拒絶した若者の最たるものがNEETといったところか。
浅田彰は「構造と力」の序文で、肝要なのは「ノリつつシラける」ことだ、と述べている。
コミットするか否かといった二極論ではなく、コミットしつつもディタッチする、その絶妙な平衡感覚こそ、現代人が最も養うべきところなのではないのか。
二者択一に対する最も正しい解答は、質問自体を脱臼させることだと聞く。
「乗るか反るか」ではなく「乗って反る」。「白か黒か」ではなく、灰色と戯れる。
そして、真にリゾーム的な生を。

浅田彰の「逃走せよ」という警句が、時を越えて今、時代を貫く。

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